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  • 執筆者の写真EXE Gakuenkai

入試に出るあめつちの事2『イチョウ』

更新日:2023年12月23日



 1904年日露戦争に出征した弟の身を案じ、『君死にたまふことなかれ』を詠んだ与謝野晶子は、イチョウのことを「金色の小さき鳥の形」と詠った(うたった)。1894年の日清戦争の勝利に沸き立つ日本にあって、昂然と厭戦詩を詠い上げ、歌集『みだれ髪』では女性の性愛をおおらかに描くなど、情熱的で芯の強さを感じさせる晶子。その彼女がイチョウの葉を「金色の小さき鳥の形」とカワイイ💗感じで表現したのは、感性の二面性のようなものが感じられて実に興味深い。

 

 理科でイチョウと言えば、まず「イチョウは裸子植物である」ことが大切。裸子植物とは、植物にとっての子供、つまり種(たね)の素となる胚珠(はいしゅ)がむき出しになっている植物のこと。“むき出し”ということは、服を着ていない、つまり裸(はだか)ということ。「子供が裸(はだか)」だから「裸子(らし)」という。

 裸子植物の反対は被子(ひし)植物。めしべの根元にある胚珠(種のもと)が「子房(しぼう)」という服に被われ(おおわれ)ている。裸ではない。

 その後受精が行われ、「胚珠は成長して種子になり、被子植物の子房は成長して果実になる」という形成の過程は、受験生として絶対の暗記事項だ。

銀杏の写真
ギンナン(銀杏)

 裸子植物には種を被う(おおう)子房がないから果実はできない。けれどもイチョウにはギンナンがなる。小中学生は茶わん蒸しに入っている黄緑のギンナンしか見たことがないかも知れないけれど、イチョウの木になっているギンナンはどう見ても果実だ。オレンジ色のサクランボみたいで、やけに美味しそうだ。これは、どうなっているんだ?


 ギンナンを被っているあのオレンジ色のプニョプニョの部分は、果実ではなくて、種の皮が熟したものだそうな。皮がプニョプニョってことは、火傷(やけど)してできた水膨れみたいなものか。言われてみれば、ギンナンのあのくさい匂いは、果実のそれとは程遠く、むしろ動物的な臭いで「100人分のワキガ」という何かの本で読んだ喩え(たとえ)がじつにしっくりくる。


 小学校時代の友人であるイシイ君は、あろうことか、あのどうしようもなくくさいオレンジ色のギンナンを食べたんだ。いや、正確に言うと食べようとしたんだ。

 イシイ君はオタマジャクシを食べちゃったり、目の上をヘビに嚙まれたり、ヘドロだらけのドブ川からお金の入った財布を拾ったり、年上の不良グループにヘラヘラ笑いながら戦いを挑んだりする、どこまでもエキセントリックな少年だった。

 オレンジ色の実を手に取ったイシイ君は、まずクンクンと臭いを楽しんで、それから事も無げにあめ玉のごとく口に放り込んだ。

 その途端、不敵にニヤついたイシイ君の顔は、見る見るうちにヘドロのように溶けていったんだ。涙目になって、鼻水がダラダラと流れ、きっと耳の穴からも何か流れていたに違いない。やがて、半開きになった口からは、かみ砕かれたオレンジの実が大量の唾液とともに地面にボトリと落ちた(良い子のみんなは真似しないように)。

「大丈夫?まずい?」

「においは嫌いじゃないけど、味はまあまあ」

くらいの返事だったと思う。イシイ君はいつだって強がりだ。どんなにつらくても、グッと我慢して泣き言は言わないんだ。でも「においは嫌いじゃない」は本心だったと思う。だって中3になって紹介してもらったイシイ君の彼女は、なぜだかギンナンのにおいがツーンとしていたから。人の好みは色々ってことさ。

 

 受験生が覚えるべき裸子植物は「杉(スギ)・松(マツ)・イチョウ・ソテツ」だけでいい。僕の授業では「スギマツイチョウソテツ、スギマツイチョウソテツ……」と連呼する。クリスマスツリーで有名な「樅(モミ)」も裸子植物だが、スギマツイチョウソテツモミでは語呂が悪いし、「針葉樹は裸子植物」というイメージを持っていればきっと大丈夫だろう、と高を括っていたら、「スギマツって何ですか?」とか「アカマツはどっちですか?」という、僕の予想をはるかに超えてくる、あさっての方角からの中学生の質問に、こめかみを撃ち抜かれて瀕死の重傷を負った。どうやら「針葉樹」がわかってないらしい。面白いから「イチョウソテツは、レスリングの金メダリストなんだぞ!」って言ってやろうかと思ったけど、真面目な顔して親に確認されても困るから、やめておいた。仕方ないから「裸子植物はスギマツイチョウソテツとクリスマスツリー」って連呼することにした。


 

 イチョウは「東京都の木」である。「イチョウは東京の木だから、君たちが受ける東京都立高校の試験に出題される可能性が非常に高い」というのは、僕の授業でのお決まりのフレーズである。けれども、数十年前に出されて以来一度も出題されていない。「だからこそ今年が危ないんだ」と言いつづけて、かれこれ十数年経つが、なかなか現れない。それでもやっぱり本当に今年こそ出るような気がするぞ、と言い続けるしかない我が立場よ。子供たちに、“オオカミ少年”ならぬ“イチョウおやじ”と命名される前に、イチョウを出題してください、都立の問題作成者様。


 

 時事問題関連で言うと、今年(2023年)は神宮外苑のイチョウ並木が話題になった。

神宮外苑のイチョウ並木の写真
神宮外苑のイチョウ並木

 神宮外苑にあるヤクルトの本拠地・神宮球場や秩父宮ラグビー場の老朽化による改修工事に合わせて、外苑一帯の再開発が都によって認可された。その際、樹齢100年を超える外苑の森の木々が、開発のため1000本近く伐採されるという。あの有名なイチョウ並木の伐採は辛うじて免れるようだが、多くの木々の伐採とビルの高層化によって、残ったイチョウ並木の枯死も危惧されている。


 この再開発の動きに対し、今年3月に亡くなった世界的な音楽家の坂本龍一氏や、ノーベル文学賞を取れそうで取れない作家の村上春樹氏などが異を唱えており、その声は徐々に広がりを見せている。果たして、開発事業は予定通り断行されるのか、それとも開発計画に何らか変更がなされるのか、受験生としても注目すべきだし、この問題に対して「あなたはどう思いますか?」と問われた時の自分なりの意見をしっかり述べたり、書けるようにしておくべきだろう。


 かく言う僕の意見は、陳腐な表現で恐縮だが、「なんてもったいないことを」という気持ちだ。


 中学受験の理科では「森のでき方」を学ぶ。

 ごく簡単にまとめると、日本の自然環境では「裸地(草木の全く生えていない土地) → 1年草の草原 → 多年草の草原 → 日当たりの良い環境を好む陽樹(アカマツやシラカバ)の森日陰の環境でも育つ陰樹(ブナやシイ)の森へと、人間が手をかけずとも、自然と遷移(せんい)していく。そして陰樹の森になってからは、陰樹のまま植生は遷移しなくなり安定する。そのような状態を「極相(クライマックス)」とよぶ。そして、裸地から陰樹の極相林になるまでには、200年から500年の時間を要するとも言われる。


 極相状態が陰樹の森であるということは、日本の自然環境の豊かさを示すものである。中学の世界地理に登場する、北アメリカの「プレーリー」や南アメリカの「パンパ」などは、草原帯のまま極相に達してしまっていると考えられる。ロシアの針葉樹林帯「タイガ」の一部は陽樹のまま遷移することは無いので、やはり極相に達しているといえる。自然が陰樹の森にまで遷移するためには、十分な陽光と、雨と、風と…そのほか様々な自然条件が満たされる必要があり、日本のような豊かな自然環境の下で初めて可能となるのだ。


 秋田県と青森県にまたがる白神山地の森がどうして尊ばれるかというと、過不足なくバランスの取れた自然環境によって育まれた木々が、途方もない年月をかけて遷移した結果、ブナの原生林(陰樹の森)となり、迫りくる人間の開発の手を免れ、極相としてあの広大な山地に広がっているからであり、世界自然遺産に認定されるのも十分納得できることなのだ。


 神宮外苑の森の話である。僕は調査員ではないので、あの森がどんな植生なのかは把握していない。とは言え、「樹齢100年を超える」木々があるということなら、陰樹の極相に向かってゆっくりと歩みを進めているには違いないだろう。何より「都会の真ん中に陰樹の森」というのがオシャレじゃないか。もちろん自動車の排気ガスなど、自然の遷移を妨げる様々な要因があり、決して平たんな道のりではないだろうが、それでも一歩一歩ゆっくりと極相に向かって進んでいると信じたい。


 だから「もったいない」のだ。あの状態になるまで、少なくとも100年弱は要していることになる。開発計画では、別の場所に同じくらいの本数の木を植えるということだが、残念ながらそれでは「スタートに逆戻り」である。陰樹の成木を別の場所にゴチャっと移植したからといって、その場所にいきなり成熟した陰樹の森が出現するわけではないのは自明である。幾星霜を経て、自然の様々な要素が重層的に絡み合って、はじめて成熟した森へと成長できるのだ。「森のでき方」について指導したり、しっかり学習してきた人にとっては「なんてもったいないことを」と考えるのは、至極当然な感覚だと思う。




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